以前、一時期「電話放送局みゅんけ」というところで番組を作っていたことがあります。ふとしたことで思い出し、検索エンジンで「みゅんけ」について検索してみたのですが、ヒットするのは2ちゃんねるでのちょっとした話題だけでした。ちょっと残念です。
「みゅんけ」は電話で番組を放送する放送局でした。といっても、局から勝手に電話をかけて放送を聞かせるのではなく(それじゃ単なる嫌がらせ?)、番組を留守番電話装置に記録しておき、電話をかけてきてくださったリスナーに対して流すというシステムでした。
電話放送局「みゅんけ」を知ったのはBCL関連の雑誌からだったと思います。BCLとはラジオ局を聞いてその受信報告書を送って受信証明書(ベリカード)をもらう趣味です。「みゅんけ」も放送局を名乗るわけですから、ベリカードを発行していたのでした。猫かなにかをベースにしたシッポがかわいいキャラクターのカードでした。「みゅんけ」もその当時はそれなりに有名で、NHK教育テレビの「YOU」という番組にメンバが出演しているのを見た記憶もあります。
それがどういうわけか、一リスナーから番組作成の側に加わっていたのでした。私が「みゅんけ」に関わった頃は既に末期でした。元々、日本大学芸術学部の学生が始めた放送局でしたが、私の世代には現役の日大生の方はいませんでした。
日大芸術学部のある西武池袋線江古田駅のすぐ近くの木造アパートの一室に「みゅんけ」はありました。トイレ共同の4畳半一間の小さな部屋でした。この部屋にメンバが集まり番組を作っては「放送」するのでした。
電話は2回線で、留守番電話装置はもちろん電話一体型ではない昔の単体機能の装置でした。番組は一度、オープンリールのテープに録音した後に留守番電話装置に転送していました。レコードのターンテーブルや各種音源を取り込むためのミキサーもあって、番組作りは楽しいものだったことを覚えています。
留守番電話装置による放送なので、番組終了後にリスナーが感想を吹き込んでくれることもありました。一度だけ、自分で効果音レコードなどを買い集めて作った番組でリスナーに感動してもらえた時は、うれしかったですね。
薄情ながら、どうやって参加させてもらってどうやって抜けていったのか覚えていないのですが(都合の悪いことはすぐ忘れる)、私がお世話になっていた頃のメンバは良い意味で個性的な方が多かったです。今でも交流があるのはごくわずかです。みな、それぞれ各方面でご活躍のことと思います。
あと覚えていることと言えば、江古田のパチンコ屋ではレッドライオンで稼がせてもらったことと(スーパーコンビでは勝ち無し)、踏み切り横の中華屋の鉄板麺がおいしかったことくらいでしょうか・・・。

Passport To World Band Radio: World's #1 Selling Shortwave Guide! (Passport to World Band Radio)
会費も払わず、そのくせ番組だけは3本くらい作らせてもらいました。
紹介者からは「彼らだって苦しい生活の中から会費を納めて運営しているのよ?それなのに何なの?あなたのその態度は!」と怒られました、そのうち、足が遠のいてしまいました。
1985年頃だったと思います。ゲッ!もう20年も経ってら!