
1995年7月に角川書店から出版された単行本「京都に原爆を投下せよ」(吉田守男著)を改題し、2002年に朝日文庫から出版された本です。
米軍による日本への空襲の時期、どうして京都が空襲されなかったかというと、それは米軍が日本の文化物を尊重し、これを守るために意図的に攻撃対象から外していたからだという美談を聞いたことはないでしょうか。私はいつどこで誰から聞いたかは忘れてしまいましたが、戦時中のエピソードとして認識していて、そういう事実があったものと思い込んでいました。
この話はかなりの信憑性を持って語られてきて、その功労者とされるランドン・ウォーナー博士をたたえる石碑が全国に建てられています(例えば、湯川村のこれとか、奈良のこれとか)。
ところが、過去の資料に基づいてこれがまったくのデタラメであることを論証しているのがこの本です。京都は米軍によって守られるどころか、広島、長崎に続く原爆の投下目標ですらあったという事実には身震いすら覚えます。
本書では、おおまかに分けて3つの論証をしています。
まず初めに日本の古都を空襲から守るために尽力をつくしたとされるランドン・ウォーナー博士にそのような事実は無かったことが明らかにされます。確かに彼は戦時中、とある委員会の指示で日本の文化資産のリストを作成しています。でも、これは空襲からその地域を除外するような目的で作成されたものではありませんでした。
次に、それではどうして京都に対する空襲が無かった(実際にはありましたが)のかについて、史実に基づいた説明が続きます。一言で言ってしまえば、原爆投下候補地だったのです。候補地に対しては、その効果を正確に測定できるよう、一般の空襲が制限されていたのでした。さらに、京都のほかにも各地の空襲の実態が緻密に調査されています。これには脱帽です。
そして最後に、それでは誰がこのデタラメの美談(本書ではウォーナー伝説と呼ばれています)を世の中に広めようとしたのかの調査があります。なるほど、と思わせるのに十分です。
この本を読んで思ったのは、現在では事実とされている歴史でも実はまったくのデタラメの可能性があることを認識する必要があるのではないかということです。歴史なんてものは、いくらでも都合よく作り出せるということを改めて感じてしまいました。概して声高に主張したほうが勝ちである傾向が強く、日本のように謙遜することが美徳である国は不利な立場に立たされることも多いのではないかと思います。