
牛島秀彦著「真珠湾の不時着機―二人だけの戦争」(河出文庫)を読みました。ここに書かれていることは事実なのですが、場面設定や登場人物を見ているとまるで映画の原作を読んでいるかのような気持ちにさせられます。
昭和16年(1941年)12月7日、予科練出身の西開地重徳は母艦飛龍
から零戦で飛び立ち、真珠湾攻撃に参加します。任務を終え、帰投しようとした時、エンジンの不調に気づきました。「生きて虜囚の辱めを受けず」と教えられてきた彼は苦悩します。同様の僚機が自爆するのを見て一層苦しむ彼ですが、そんな時に艦隊司令官淵田美津雄中佐の言葉を思い出しました。これによると、何かあった時はニイハウ島に不時着するようにとのことでした。ニイハウ島にはハワイ人しかいないので安全だというのです。そうすれば24時間以内に日本軍の潜水艦が救出に行くというものです。結局彼はこれを実行します。
その当時、そして今もそうですが、ニイハウ島はロビンソン家による所有となっており、島には限られた人しかいなかったのです。そして、この事件のあった時、ロビンソン家から島の管理を任されていたのが日系二世のハラダ・ヨシオでした。ハワイ人たちによる敵対的な態度の中、ハラダは西開地のために尽力します。
西開地は不時着時に一時的に気を失い、その時、ハワイ人たちに拳銃と書類を奪われてしまいました。彼はこれを最後まで気にし、彼に同情したハラダと二人でこれを取り返そうとします。しかし失敗し、最後は追い詰められ、二人とも死を迎えます。
残された家族も大変でした。奥さんはスパイ容疑で逮捕され、3年近くも刑務所で暮らすことになりました。日系人であるだけで強制収容所に入れられてしまった時期でもありましたから、夫が日本軍の兵士をかばって死んだともなればあらぬ疑いをかけられてしまうことも想像に難くありません。
この本を読んで一番気になったのは、日系人とはいえアメリカ人であるハラダ・ヨシオがどうしてそこまで西開地のためにしてやれたのかということです。彼自身の性格や歴史的な背景など色々と要因があるのだとは思いますが、この点だけは答えが見出せませんでした。
いずれにせよ、このような事実があったことだけはきちんと記録しておく必要があると思いました。
間もなく真珠湾攻撃から70年。