吉見百穴

利根大堰を後にして帰路、東松山ICに向かう途中で「吉見百穴」に立ち寄りました。ここに来るのも何度目かです。写真をご覧いただければわかるように、山に無数の穴が開いている不思議な場所です。

元々の調査ではコロボックル人の住居だったと発表されていたようですが、その後の発掘調査では横穴式のお墓であったというのが定説となっているそうです。今で言えば納骨堂みたいですね。昔の人もなかなか粋なことをしてくれます。でも、お墓のためにこれだけの穴を掘らせるにはそれなりに労力が要るわけで、このお墓に入れた人はそれ相応の権力のあった人だろうとのことです。

そういう説明を読んでいてとても気になったのが「コロボックル人」という言葉。日本語では土蜘蛛人というようですが、ますます興味のわく日本語です。さも一般的な言葉であるかのように説明文に出てきたので気になってしまい、その後の「吉見百穴」の説明などどうでもよくなってしまいました。頭の中は「コロボックル、コロボックル・・・」と呪文のように言葉が一人歩きしたのでした。

「コロボックル」どことなく記憶にある言葉です。でも思い出せないんです。なんとなくかわいいイメージが漂う言葉です。気になって仕方が無いのでインターネットで調べてみました。

出てくる説明を総合すると、コロボックルとはアイヌの古い伝説に出てくる妖精で、「フキの葉の下の人」という意味だそうです。・・・??・・・??・・・。どうして伝説上の妖精の住居などという説が出てきたのでしょう・・・? 答えは日本の考古学・人類学のパイオニアである坪井正五郎氏に行き着きました(というか吉見百穴の最初の調査は彼の成果なのですが・・・)。彼の説によると、アイヌ人がコロボックルと呼ぶ小さな人間が、日本の先住民族だったということのようです。残念ながら今では支持されていない説のようですが、こういう仮説にはロマンを感じてしまいます。吉見百穴の穴は今までに219個発見されているそうですが、これが単なるお墓であるよりも、コロボックルのお家であったと考えるほうが夢がありますね。

吉見百穴 ヒカリゴケ自生地

ところで本題の「吉見百穴」ですが、一番下のコロボックル人のお宅・・・いや昔の人のお墓の穴にはヒカリゴケという天然記念物が自生していました。柵で保護されていますが、覗くと暗い中で黄緑色に輝いていてとても綺麗です。さすが、コロボックル人です。だから、コロボックル人じゃないって。

吉見百穴 地下軍需工場跡地

また、昭和20年の戦争末期には、この吉見百穴に大きな軍事工場が作られたそうです。中島飛行機の武蔵野工場が空襲にあい、このままでは被害が大きくなるとの判断で、大宮工場が移転してきたのだそうです。幅4メートル、高さ2.2メートルの穴はかなり深くまで掘られているそうです。訪れた日は暑い日でしたが、穴の中はヒンヤリしていて、今でも寂しさが漂っていました。公開されている工場跡でもそれなりに長い穴ですが、実際はこれの10倍以上だそうです。