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Chris Dingの思惑ブログ」さんに「どうして他人の年齢を聞くのか」という記事がありました。普段、人様の記事に対してコメントをするといったブログ本来の使い方はしていないのですが、私自身が常日頃考えていることに関連する記事でしたので、言及させていただこうと思います。

氏は日本でよく年齢を聞かれる言います。そしてその理由の一つとして日本語の特性を挙げています。つまり、日本語には敬語、丁寧語、謙譲語とあって、立場に応じて言葉遣いを選ばなければいけないというわけです。言葉と文化は切り離せないですから、日本語というよりは日本の文化といったほうが正しいのかもしれませんが、この考えには強く同感です。

人の集まる場所に行くと、いきなり年齢を尋ねることは無くてもその場の序列を決めたくなるのが日本の文化なのではないかと思います。そして、序列の中の自分のポジションが明らかになると話しやすくなるというのも事実だと思います。もちろん、私もやっていると思います。序列は本来色々な力関係で決まりますが、「年功序列」という言葉にもある通り、日本でその基本に年齢が位置づけられているのは間違いありません。

でも、これは結構疲れる作業です。序列を知らないのは精神的に疲れるし、序列を明らかにしようとする作業も同様に疲れます。また、個人的な考えとして、自分の中で考えている序列が自分の言葉遣いや行動から外部の人に悟られてしまうのがとてもかっこ悪いというのもあります。例えば、人の名前の後につけるものに「さん」とか「君」があります。一般的に序列の上の人に対して「君」は使わないので、これを使って人を呼びかけたら、その人の中では呼びかけられる人が自分より同等以下という気持ちがあるのだと思います。こういうのはどうも露骨すぎて私には耐えられません。

では、私はどうしているかという話になります。それは実は結構簡単で序列に応じた対応をやめて、統一させてしまえば良いのです。つまり、序列の上の人間だけでなく下の人間に対しても丁寧な言葉遣いや対応を取るということです。こうすれば、序列が明らかにならなくても常に丁寧な側に合わせて行動するだけで良いのですから精神的にも楽です。これからの時代、成果主義によって後輩がいつ上司になるとも限りません。昨日まで「君」で呼んでいた後輩が今日から「さん」になるのもかっこ悪くないですか。普段から「さん」に統一しておけば良いのです。

ただ、何から何まで丁寧に合わせてしまうとよそよそしくなってしまうのも事実です。親しい間柄ではもちろんラフな言葉遣いをしたほうが良いでしょう。初めて会う人には誰でも丁寧に対応し、ある程度親しくなったら少しラフに対応するといった、当然といえば当然の対応になります。そういった点から考えると、私の行動規範は年齢や立場に基づいた序列ではなく、親密さに基づいた序列を使っているという言い方をできるのかもしれません。

あれ、・・・結局「序列」そのものは必要なようですね。