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「男たちの大和」を読んで映画も見に行きました。原作者である辺見じゅん氏の本の中に気になっていたものがあったので、この機会に通勤読書させていただきました。「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」です。

現代の遺書というと自殺する前に書かれるものが多く悲観的なものが多いですが、戦時中に書かれたものは違います。自分の意思とは別に死地に赴かなければならないことが多く、残された者を想う気持ちが文脈からにじみ出てきます。誤解を恐れず言うならば非常に美しいとも言えると思います。これは著者の昭和の遺書シリーズを読むとわかります。

「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」でスポットが当てられる遺書は、戦後10年経ってソ連の俘虜収容所で書かれた遺書です。この遺書は残された者を想うだけでなく、日本の将来を考えたとても前向きな遺書でもあります。

終戦間際、ソ連は日ソ不可侵条約を破棄して満州に侵攻し、多くの日本人がソ連に連行されました。その数60万人と言います。「資本主義幇助罪」や「スパイ罪」という曖昧な容疑で戦犯にされ、強制労働に従事させられます。この中に本書の遺書を残した山本幡男さんがいました。

彼は日本で社会主義運動に関わったこともあるソ連贔屓の方でしたが、初期の収容所生活では反動のレッテルを貼られかなり苦労されたようです。密告がまかり通り一夜にして反動としてリンチの標的にされてしまうあたりは、中国の文化大革命や現在の北朝鮮を思い出させます。

それでも持ち前の前向きさと誰からも慕われる性格から、衛兵の目を盗んで勉強会や句会を催し多くの仲間を勇気付けます。収容者たちは死ぬまで働かせると脅され、死んだ人は白樺の肥やしとして埋められてしまったそうです。多くの人がいずれ自分もそうなると悲観している中(白樺派と呼ぶそうです)、彼だけは帰国(ダモイ)を信じ続けるのでした。

彼の願いは実現し、「もはや戦後ではない」と言われた頃、戦後11年目にして実現するのですが(途中の一部帰国はありました)、残念ながら彼自身はその2年少し前に病気でこの世を去ってしまっていました。

収容所内では文字を残すことは許されませんでした。それだけでスパイ容疑をかけられてしまいます。それでも、彼の遺書を日本に届けたい。彼が死の直前に書いたノート15ページに及ぶの遺書は仲間によって記憶され、日本の遺族の元へ届けられるのでした。

それは、遺書の内容が彼の私的なものだけでなく、多くの収容者たちの気持ちそのものでもあったからに他なりません。命がけで書かれた遺書が命を賭して日本に運ばれたのでした。

最後の抑留者たちは1956年12月24日(偶然ですが、49年前の今日)、興安丸でナホトカ港の氷海を離岸します。この時、収容所で日本人たちに可愛がられていたクロという犬が海に飛び込んで船を追いかけてきたそうです。その時の光景が頭に浮かびます。

どうやら、この「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」は舞台では何度か上映されているようです。収容所という限られた空間が舞台であるため、確かに戯曲にしやすいのかもしれません。映画化はどうでしょう。角川さんには「男たちの大和」に続いて映画化を検討していただきたい作品です。