埼玉県所沢市が日本で最初に飛行場の作られた地であることは、かなり知られています。プロペ通りやファルマン通りという名前、所沢市のシンボルマークを見れば明らかですし、所沢航空記念公園の歴史を見れば詳しく説明されています。ちなみに日本で最初に飛行機が飛んだ場所ではありません。最初に飛んだのは代々木練兵場(現代々木公園)だそうです。
そして、所沢はそれだけでなく、日本最初の航空事故犠牲者を出した地でもあるんです。大正2年3月28日、木村鈴四郎砲兵中尉と徳田金一歩兵中尉の乗るブレリオ機が青山練兵場(現神宮外苑)から所沢飛行場に向かう途中、飛行場北東約1500メートル地点で突風により左翼を破壊され墜落、両中尉は殉職されました。
当時のやまと新聞社は墜落地に記念塔を建て量中尉の銅像を残したと言うことですが、この墜落地点があまりにも不便な場所にあったため、その後、この銅像は所沢駅前を始めあちこちを転々とし、現在は所沢航空記念公園内に設置されています。以前紹介した「少年飛行兵像」と違って人目のつくところに設置されているので、公園内で見たことのある方も多いかと思います。
この銅像についてはたくさん紹介されているのですが、実際の墜落地点があまり知られていないので雨の中、行ってまいりました。場所は、所沢聖地霊園の中にあります。当時は不便な場所ということでしたが、現在は墓地として整備され、バス亭やタクシー乗り場がある場所になってしまいました。
場所は、所沢聖地霊園横の駐車場の一番奥です。「木村 徳田両中尉殉職之處」と書かれた大きな慰霊碑が建っていました。周りはお墓です。今でこそお墓として開かれていますが、おそらく当時は何も無かったところだろうと思います。近くには所沢市教育委員会と所沢市文化財保護委員会の説明文のほか、所沢市牛沼戦友会による説明版も立てられていました。
最初この話を聞いた時は青山から所沢まで飛行機で移動ということに驚いてしまいました。今のジェット機からは想像もできないくらい、ある意味のんびりした時代だったのでしょう。しかし、今日までの短期間の間に人類は宇宙へも足を伸ばしてしまいました。先人たちの犠牲を無駄にはしたくないと思うのでありました。
参考に所沢市の「航空発祥の地」をどうぞ。