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オウムと私

 オウム真理教による地下鉄サリン事件の実行犯として起訴され、無期懲役刑を受けた林郁夫氏による本です。文庫本にもなっています。

 最近、アレーフに改称した旧オウム真理教に分裂騒ぎが起こっているというニュースを見ました。これによると、その一部はかなり原理的な考えを持っているとのこと。関連して、「「カルト」を問い直す―信教の自由というリスク」という本を読んだのですが、その本の中でこの「オウムと私」が紹介されていました。

 ニュースで見てきたオウム真理教の姿が内側から描かれています。サリン事件実行直前のことです。著者は、サリンが入った袋をスポーツ新聞で包むのに抵抗を感じ、行動を共にした新實智光氏がどこからか手に入れてきた「聖教新聞」と「赤旗」から「赤旗」を選び、代わりにこれを使用したそうです。このような具体的な記述は当事者でなければわかりません。

 著者は、元々心臓外科医で、アメリカ留学経験もあります。一般的にはエリートと呼ばれる人だったのではないかと思います。その他にも一連の事件で、オウム真理教の関係者としてテレビに出てきた人は皆、優秀な人たちでありました。この点が当時から気になっていました。

 中でも著者は年齢が高く、どうして彼のような人がという思いが強かったのですが、この本を読むと彼がオウム真理教にはまっていく姿がよく理解できます。彼が犯した犯罪を弁解する気持ちは毛頭ありませんが、彼が抱いていた解脱者による世界救済の考えは、オウム入信前より非常に純粋であったようにも感じます。

 では、どうして殺人をするにまでに至ったかになるのですが、オウム真理教では、グル(麻原彰晃)と弟子の関係が絶対なのだそうです。オウムに限らず、クンダリニーヨーガというものによって解脱するには師弟の関係を重要視する流儀というものがあるようですが、詳しくはわかりません。

 ただ、麻原にとって著者は、年上であり、また一時期同じ阿含宗の信徒で専門知識も有していたことから他の「弟子」よりも扱いにくい存在であったことは、著者の記述から読み取れます。著者自身の言葉で言う「踏み絵」を少しずつ踏ませることで、犯罪行為に加担させていく様子は、一般人からは理解できませんが、信者にとっては大きな意味を持つものだったのだと推測します。

 信者が盲目的になってしまう傾向は、カルトと呼ばれる集団には共通の流れなのかと思いますが、今後もこのようなことが起こる可能性を否定はできません。信教の自由と密接に関係するため非常に扱いにくい問題ではありますが、何らかの線引きが必要でしょうね。一連の体験を通じての著者の考えを聞いてみたいものです。