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 「父親たちの星条旗」はつい最近見てきたばかりですが、「硫黄島からの手紙」は公開初日の朝一番の回で見てまいりました。場所は、「ALWAYS 三丁目の夕日」や「男たちの大和」を見たワーナー・マイカル・シネマズ大井です。車でのアクセスが便利なので、定番になりつつあります。

 9時35分からの回なので9時10分くらいに着いたのですが、チケット売り場に長い列が出来ていてびっくりしました。「ふたりはプリキュア」か「007 カジノ・ロワイヤル」か「武士の一分」か「NANA2」か、または「硫黄島からの手紙」のどれかなのですが・・・。まあ、私のようにある一定以上の年齢の男性が1人だと同志だろうと推測できます。でも、実際、劇場に入ってみるとカップルなどもいました。

 以下、少し見てきた感想みたいなものを書き残しておこうかと思いますが、当然映画の中身にも触れますので、何も前知識無しで見たいという方は、続きは読まないほうが良いと思います。

 まず、「クリント・イーストウッドの硫黄島の映画」を書いた時に心配した、外国人が描く日本人像に不自然なところが無いかという点ですが、この心配は不要だったようです。自然に入っていけました。エンドロールを見ていたらロケ地(?)として硫黄島と南カリフォルニアと出ていました。ということは戦時中の日本のシーンもアメリカに作られたセットだったのだと思います。憲兵が民家に押し入るシーンがありました。その家の玄関が障子だったように記憶しているのですが、さすがに昭和の当時、障子の扉の家は無かったんじゃないかなと思ったりもします。でも、全体から見たら些細なことです。

 ストーリー的にはむしろ、これって本当にアメリカで作られたの?って感じでした。戦闘で負傷した米兵を日本兵が壕に連れ込み手当てしてあげるシーンや(命令したのはバロン西こと、1932年のロス五輪の馬術競技で金メダルを取った西竹一中佐)、逆に投降して捕虜となった日本兵を米兵が射殺してしまうシーンなど、ちょっと意外な展開もありました。

 もちろん、「「玉砕総指揮官」の絵手紙」や「散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道」で紹介されていた逸話もふんだんに織り込まれていました。本を読んでいる人間としては、予想通りの使われ方に思わずニンマリとしたりもしました。

 渡辺謙さんがかっこよいのはもうほぼ予想通りでしたが、意外に(失礼ながら)かっこよかったのが先ほどの西竹一中佐を演じた伊原剛志さんでしょうか。私の中ではフジテレビのドラマ「ラストクリスマス」で「おつカレーライス」を連発していたイメージが強すぎたのですが、この映画の中では栗林中将のよき理解者として人間味溢れる役柄を演じていたと思います。

 その一方でいまいちぱっとしなかったのが伊藤中尉を演じた中村獅童さん。栗林中将の戦略に露骨に反対する役柄です。ちょっとストーリー的に無理のある展開だったと思うのですが、単独行動をし始めたあたりから存在価値がわからなくなってしまいました。また、単独行動をするために部下と別れるシーンも部下のしらけ具合が少し不自然でした。

 エンドロールを見ていたらMotherだったか何かの役でYukari Blackという方が出ていました。憲兵に押し込まれた家のお母さん役なのか・・・これだけだと何のことだかわかりませんが、帰宅後調べたら、「父親たちの星条旗」では東京ローズの役(声?)をした方のようです。結構、アメリカで活躍している日本人や日系アメリカ人、または中国系アメリカ人と思われる方の名前もたくさん出ていました。以前、「クリント・イーストウッドの硫黄島の映画」にコメントをくださったSonny Saitoさんの名前もMed. Endoとして出ていました。でも、劇中でどの方だったのかは残念ながらわかりませんでした。

 アメリカへの留学経験もある栗林中将は、アメリカの国力をよく知っていました。硫黄島でも、通常の戦い方で対応できないことをわかっていたのでしょう。水際で上陸を阻止するという従来の戦法を行わず、地下壕にこもって持久戦を行います。硫黄島が陥落することは、日本本土への爆撃を容易にすることを意味します。1日でも長く持ちこたえることの意味は映画のセリフでも出てきました。彼の戦い方が意味あるものであったことは、とても良く描かれていたと思います。でも、何でしょう。さんざん悲惨な戦闘シーンを見せられた後に残るのは何ともいえない無常観でした。常々、国のために戦った兵士に対して後世の人間は敬意を払う必要があると考えてきました。この映画ももちろんそういう立場に立っていると思います。それでも日米双方でそれが行われると、結局のところ戦争って何なの?というところに行き着くようです。見終わった後、少し不思議な気持ちになりました。