東村山市に東村山ふるさと歴史館という博物館があるというので、出かけてきました。車の駐車場はないので自転車です。
写真だとよくわかりませんが、都営団地に囲まれる形でふるさと歴史館はありました。西武西武園線がすぐ近くを走り、周りには昔ながらの豆腐屋さんや魚屋さんが点在するのどかな場所でした。
これまでの近隣の郷土博物館や資料館へ足を運んでいますが、一番展示内容は充実していたかと思います。市内の下宅部遺跡から出土したもの、機織に関するもの、そして「みち」の発展でみる東村山の歴史の展示が大きなものです。
ロビーには下宅部遺跡から出土した丸木舟の未完成品が展示されていました。とても大きいです。縄文時代のものだそうです。特別なケースに入れられているわけではなく、すぐさわれるくらいの目の前に置かれていました。もちろん触ってはいけませんが、縄文時代が身近に感じられます。
機織に関しては、「村山絣(むらやまがすり)を復元しよう」との呼びかけで活動されているようです。機織の実演もあるようで、このあたりは清瀬市郷土博物館と同じです。
「みち」に関する展示は常設展示ではメインともいえるもので、パネルのほか模型や実物の展示も充実していました。旧石器時代には、八ヶ岳あたりで取れる黒曜石が運ばれてくる「みち」がありました。昔は昔で遠い距離を歩いて運んだんでしょうね。鎌倉時代には鎌倉道の紹介もあります。村山貯水池工事のために使われた軽便鉄道についても、模型付きで紹介がありました。この模型の中には新宿線の線路もありましたが、当然ながら線路幅は狭かったです。
実はこの展示で新たな発見がありました。戦争中の東村山市内の空襲箇所を紹介したパネルの中に「B29墜落地点」という文字があったのです。場所は、秋津町の青葉町との境です。こんなところにB29が墜落したという話はこれまで聞いたことがありません。というか、どのくらいのB29が日本国内に墜落したのかも知らないのですが・・・。それにしても秋津町ですか・・・。ネットで検索すると確かにそういう事実はあったようなので、今度時間を見てその現場を見てこようかと思っているところです。
あ、そういえば、ビデオで東村山の昔話も見てきました。まっさきに先日訪れた持明院のカッパの話が紹介されていました。