昨年末、東村山市ふるさと歴史館に出かけた時に、戦争当時の東村山市内の空襲状況のパネル展示があった話をしました。そして、その中には「B29墜落地点」という説明もありました。その後、これがとても気になっていました。
少し調べてみました。結局調べると言ってもネットで検索するだけなのですが、(言い方はよくありませんが)いろいろと好奇心をそそられる情報がありました。
まず、「青森空襲を記録する会」さんのサイトからたどって行くと「本土空襲墜落B29調査」というページがあります。全体の空襲作戦行動からすれば微々たるものだそうですが、それでも多くの機体が墜落しています。そして、この中に東村山市に墜落したB29の情報もありました。
これによると、中島飛行機武蔵製作所への空襲を目的として飛来したところ、対空砲火により東村山市秋津町1丁目に墜落したとの事です。
次に実際に見に行こうと行動を起こさせる気にさせてくれたのが「写真屋ドーバーフォト」さんの「ごぞんじ東村山」からたどると出てくる「平和観音」に関する情報です。
とてもわかりやすく説明されているので直接お読みいただくのが一番ですが、B29が墜落した地点には、小俣権次郎さんという方の手によって平和観音が建立されているということです。墜落したB29の乗組員は11名全員死亡しましたが、小俣さんは彼らを手厚く葬ってもいます。
近くに住むものとして一度、この平和観音は拝見したいと思い、正月2日に自転車で飛び出しました。わかっている情報は、東村山市秋津町1丁目で、ふるさと歴史館のパネルから青葉町との境に近い場所ということだけでした。主に空堀川周辺を重点的に自転車を走らせましたが、平和観音にはお会いできませんでした。
自転車に乗ったオヤジが同じあたりをフラフラしているとかなり怪しいです。カメラを抱えてますし。こういう時は、子どもや犬を同伴させて怪しさを打ち消すよう努力しているのですが、今回は移動範囲が広範囲になりそうだったので単独行動でした。散歩している人と一度すれ違ったのにまた別の場所で同じ人とすれ違うこともあり、2時間ほどであきらめることとしました。
実はもっと北側、秋津駅に近い場所に平和観音はありました。ひょんなことから知りました。志木街道沿い、紳士服のアオキといなげやの間です。よく通る場所です。そういえば無意識のこの観音像を見ていたような気もします。日を改めて拝ませていただきました。お花も供えられ、どなたかによってきちんと守られているように見えました。
ということは、あのあたりにB29は落ちたのでしょうか。正直なところ、今の光景からは想像もできません。