武蔵野線東浦和駅から歩いてすぐのところに見沼通船堀というのがあります。埼玉県で社会科を学んだ人なら誰でも知っているものに見沼代用水というのがあります。とはいえ、どういう用途で誰が作ったものか説明できないので、そういう話は詳しいサイトをご覧ください。
今回は、この見沼代用水と芝川の間に作られた運河を見てきた時のお話です。
最初の写真は見沼代用水の西縁です。見沼代用水は西と東に流れていて、その間を芝川が流れています。西縁は西側の用水です。昔作られた見沼代用水といっても野火止用水のように趣のある姿はしていませんでした。コンクリートで固められてしまって、農業用水のような様相をしています。
見沼代用水西縁から芝川に流れる見沼通船堀西縁です。近くには公園もあって良い雰囲気の漂う場所です。
見沼通船堀西縁の関の1つです。この見沼通船堀のすごい点は、見沼代用水と芝川の水位の差3メートルをこれらの関で調節しながら船を通した点です。川の水は高いところから低いところへ流れますが、これらの関を利用して低い場所から高い場所へ船が通されるようです。改めて昔の人の知恵には驚かされます。閘門(こうもん)式運河と呼ぶそうで、日本最古のものだそうです。
芝川です。写真の左側の部分が通船堀西縁の合流地点です。写真の右奥には通船堀東縁との合流地点があります。
そして、これが見沼通船堀東縁にある関です。
この通船堀沿いには色々な案内板がありました。タイミングがあえば昔の通船の再現などもしているようです。なかなか良い散歩道でした。
この東縁の先には私好みのものがあったのですが、それについては日を改めます。