以前、「全生園の読み方」というものを書きました。この時、ハンセン病資料館なるものがあることを教えていただき、行きたいと思っていたのですが、改装中でした。
この4月からこの資料館が新しく生まれ変わり再開館しました。名前も「松宮記念ハンセン病資料館」から、「国立ハンセン病資料館」になりました。
さっそく出かけてまいりました。場所は多磨全生園敷地の北東部にあります。
国立ハンセン病資料館の目的はパンフレットから引用するとこうなっています。
「ハンセン病問題の早期かつ全面的解決に向けての内閣総理大臣談話」、「ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律」前文及び第11条(名誉の回復等)に基づき国が実施する普及啓蒙活動の一環として、ハンセン病に対する正しい知識の普及啓蒙による偏見・差別の解消及び患者・元患者の名誉回復を図る
関係者の方々すればまだ色々と納得できない点もありましょうが、国が国家的行ってきたハンセン病患者の強制隔離政策の過ちを認め、それによって生じた問題を解決しようとしているんだと思います。
各地に設けられた療養所ではその中でしか通用しないお金を使わされ、死ぬまで完全に隔離された状態に置かれていたことが説明されていました。草津の栗生楽泉園と呼ばれた療養所にあった重監房の話はむごいです。反抗的な者が入れられる独房で、青天井の元、22人も亡くなっています。「草津送り」と呼ばれて恐れられていたそうです。
実際、ハンセン病はらい菌よって発症する病気です。らい菌は人工で培養すらできないほど弱い菌で、感染力はきわめて弱いそうです。今では簡単に治療できる病気です。でも、治療薬がなかったころは業病などとも言われ、宗教的見地からは信仰心が足りないからだといわれたこともあったようです。そのため、強制隔離というひどい扱いを受けてしまいました。
その歴史や実際に療養所にいた方々の証言が展示されていました。
資料館の横には納骨堂がありました。一度入所すると死後、故郷に埋葬されることさえ許されなかった物故者のお骨が納められています。現在の納骨堂は1985年に再建されたものだそうです。
納骨堂のすぐよこには比較的新しい碑が建てられていました。「尊厳回復の碑」と書かれていました。
ハンセン病資料館にはその専用の門から入ることもできますが、全生園の中を抜けていくこともできます。帰りは全生園の正門まで歩いてみました。住所的には東村山市になるようで、市議や市長の立候補者の写真が並べられています。
なお、全生園の中には2種類の案内板がありました。左のものが現在の様子を説明したものです。そして、右が過去の史跡の位置を示した地図です。「監房跡」や「収容門跡」など、後世に語り継がねばならない言葉が載せられていました。時間があれば全生園の中を歩いてみるのも勉強になるかもしれません。
一点気になったのが上記の工事現場でした。資料館のすぐそば、全生園の北側です。確か、最近まで古い建物が残されていたと思うのですが、何やら中を隠すように白い幕が張られていました。不の遺物を隠していると思うのはうがった見方でしょうか・・・。
時々正門の前を車で通るたびに、気になってしまう場所です。国家による統制や無知や誤解が招く悲劇に、おこがましくも切なくなる史実ですね。詳しいことは知りませんので何ですが、小学校などの社会化見学の場所としても教育に活かして欲しいと思いますね。