2007年04月30日

大和田通信所と野火止用水

大和田通信所を横切る道路入口

 新座市の総合運動公園にて菜の花が満開になっているという話を聞き、行ってみようかと自転車を走らせました。車でないのは、以前Uターンした大和田通信所の間を横断する道路を通ってみるためです。

 上のような車止めがあって、正直なところこの幅なら車は通りぬけられるのですが、さすがにそこまで挑発的な行動も取れませんので、前回はここで車をUターンさせたのでした。

 大和田通信所は米軍が受信用に使用している施設のようです。送信は、所沢の航空公園の横にある通信所です。

 それにしても、気になる道路です。


大和田通信所の説明看板

 道路の周りはフェンスで囲まれていますのでフェンスを越えなければ良いのだとは思います。でも、写真のような看板があちこちに建てられています。ここには次のように書かれています。

この地域(右図車線部分)は、日本国政府が「大和田通信所」として、アメリカ合衆国軍隊の用に供している施設及び区域です。東京防衛施設局

 修正し忘れた看板だと「東京防衛施設局」の部分が「入間川防衛施設事務所」になっています。

 あれ、横断している道路も区域内になっています。

大和田通信所の警告板

 さらに進むとこんな看板もありました。こう書かれています。

警告
在日米軍基地
立入禁止区域
基地司令官の許可なく、この区域に立入ることは、法律違反である。当該施設に居る間は、すべての人は身体及び所持品の捜索を受けるかも知れない。不法な立入りは、日本国法律によって罰せられる。"(掲示特別法第2条 昭和27年5月7日 法律第138号)"

 もしかして、この横断道路を自転車でふらふらしながら写真まで撮ってるヤツは拘束されてしまうのかも・・・。でも、フェンスは越えてないし・・・。大丈夫でしょう、きっと。

大和田通信所の昔の入口?

 道を走っていたら、昔は門か何かだったと思われる場所がありました。フェンスの向こうに石柱が残っていました。この方のサイトに米軍接収直後の大和田通信所の写真がたくさん掲載されていたので、あてはまりそうなものを探したのですが、「これだ!」と言えるものはありませんでした。もしかして、米軍接収前の日本海軍が使用していた頃のものだったりするとおもしろいのですが、こればかりは詳しい方に聞かないとわかりませんね。

 ちなみに、遠くにはログペリアンテナが見えます。

大和田通信所内は菜の花(?)がいっぱい

 ところで、通信所内は黄色い花がいっぱい咲いていました。あれ、もしかして菜の花? それとも、空堀川同様、セイヨウカラシナ? まあ、どちらでも良いでしょう。総合運動公園に行かなくても良くなってしまいました。

大和田通信所は広大

 それにしても、大和田通信所の敷地は広大です。もし将来、日本に返還されることがあれば、新座市になるのでしょうか。道路上の電柱(?)には新座市の表記がなされていました。

野火止用水の分水地点

 総合運動公園に行くのはやめて、野火止用水の本流と平林寺堀の分水地点を見に行きました。前回の消えた野火止用水は本流のようです。

 少しずつ自分が利口になっていくようでうれしいです。



この記事へのトラックバックURL
http://trackback.blogsys.jp/livedoor/tobapost/50774890
この記事へのトラックバック
 上の写真は、以前、「大和田通信所と野火止用水」で書いたことのある米軍大和田通信基地の敷地を示すフェンスです。このあたりは行政区分的には清瀬市になるのだと思います。でも、フェンスの向こうはアメリカ。   電柱に何か書いてあります。もう少し近づいて...
米軍大和田通信所はアメリカン【毎日がレビュー】at 2008年06月23日 23:35
 しばらく前になりますが、所沢市の西武車輌工場の道沿いに「陸軍用地」の石柱が残っているのに触れたことがあります(「井筒屋町造商店 所沢の空を飛んだヒコーキ展」参照)。  今度は海軍用地です。yoyogiさんから大和田通信所近くの畑に残っているとの情報をい...
大和田通信所近くの海軍用地の石柱【毎日がレビュー】at 2008年09月05日 00:27
 清瀬市と新座市の境にある米軍大和田通信所の周辺はある意味、未開の地であります。これまでも日本海軍用地時代の名残について書いたりしてきました。  このあたりは自然も手つかずで残っているためか、今日はキジに遭遇しました。
清瀬市のキジ【毎日がレビュー】at 2009年06月07日 00:13
この記事へのコメント
 すっかりご無沙汰してしまい、申し訳ありません。 今日も興味深い記事で、楽しく読ませて頂きましたけど、大和田通信基地は清瀬に住んでいた高校生当時、確か行ったことがあります。 私もBCLをやっておりましたので、アンテナには興味津々でした。 横田基地近くに住んでいたことがありますので、この手の看板には慣れっこですけど、でも、「日本であって日本ではない」ということを、嫌が上でも思い知らされますね。 うわっ、野火止用水と平林寺堀の分水地点はこんな感じなのですね。前回ノーチェックなだけに、機会があったら私も見てきます。
Posted by リバーマン at 2007年05月01日 01:12
リバーマンさん、こんにちは。

そうですよね、BCLをやられていた件は、以前ラジオをご紹介されていた時に存じておりました。大和田も所沢もアンテナはすごいですよね。自分で使ってみたい気もします(笑)。

野火止用水の場所ですが、大和田通信所からすぐのところでした。水道道路沿いに来ればすぐにわかるところですね。

楽しいGWをお過ごしください。
Posted by Toba at 2007年05月01日 09:28
4枚目の写真ですが、ここには「睦荘」と呼ばれる建物が昭和30年代後半までありました。立派な石造りの玄関が建物の中央にあって、目の前にはテニスコートがあり、後方には、旧日本海軍の木造兵舎が5棟ほどありました。この兵舎のひとつが「大和田通信所の写真」Page3の左から4枚目の建物です。戦時中のことは知りませんが、おそらく「睦荘」は旧海軍のサロンか診療所みたいなところだったのではないでしょうか。サロンといえば、旧海軍には「海人会」という福祉組織(財団)があって、旧大和田通信所では売店や社交施設(ダンス場、ビリヤード、談話室)や宿泊施設を備えた建物がありました。「大和田通信所の写真」Page1の上段左から4枚目の黒い2階建ての建物です。見にくいですが建物の左側に葉を落とした3本の銀杏が写っていますが、「大和田通信所と野火止用水」(2007.04.30)の写真で5枚目に写っている銀杏の樹が、この左端の樹です。
Posted by 新座育ち at 2007年05月01日 16:43
新座育ちさん、こんにちは。

いやあ、お詳しいですね。私が適当に書きなぐった文章にこのように肉付けしていただけると本当にうれしくなります。どうもありがとうございます。

今ではどのくらいの人数の軍人さんが常駐されているんでしょうね。所沢もそうですが、ほとんど人気が感じられません。多分、監視はされていたんだと思いますが・・・。

大きな木は銀杏の木でしたか。アメリカ人も銀杏を食べるんでしょうかね。
Posted by Toba at 2007年05月01日 21:09
自転車で武蔵野の古道や林、川を巡るのを楽しみにしている者です。いつもこちらのblogを参考にさせていただいています。

「この方」の情報ありがとうございます。
50年前の武蔵野の風景にいたく感動し、さっそく「この方」へメールし、私のblogへの写真の掲載を許可していただきました。




Posted by str.tkhs at 2007年05月03日 05:25
str.tkhsさん、こんにちは。

私もBlogを拝見しました(Webで検索させていただきました)。有益な情報が満載です。私も参考にさせていただきたいと思います。

最近、車よりも自転車、自転車よりも歩きのほうが新しい発見があることを感じております。竹林公園を初め東久留米市内は自転車で移動しました。折りたたみ自転車だったのでママチャリには抜かれまくり、翌日にはお尻の皮がむけてしまいました・・・。長距離を乗るのであればきちんとした自転車じゃないとだめですね。

Posted by Toba at 2007年05月03日 09:03
はじめまして。通勤路として水道道路を使っています。 今年の3月に自宅の近所の米軍通信所を散歩して、大和田通信所の存在を知りました。
 
先日、「ローレライ」という映画で大和田通信所が出てきてびっくり。海軍の通信所だったのですね。
 そして米国人の写真なんですが、私の実家の近所のグラントハイツ(旧成増飛行場=今では東京都練馬区光が丘と呼んでいます)の昔の画像があり、とても感動です。
 たしか小学生のころにグラントハイツから光が丘に名前が変わったなーという記憶がありました。
Posted by 久留米こやま at 2007年05月08日 00:38
久留米こやまさん、こんにちは。

水道道路は野火止用水が流れていて良い道ですよね。
先日、「亡国のイージス」という映画を見てから、その「ローレライ」という映画も見てみたいと思っていました。大和田通信所が出てくるとなると、早く見てみたいです。

そういえば、光が丘も飛行場だったんですよね。滑走路の名残の道路があると聞いたことがありますが。グランドハイツと呼ばれていたとは、さすがに知りませんでした。
Posted by Toba at 2007年05月08日 07:32
「この方」に現在の大和田通信所の姿を見せてあげたいと思い、防衛施設庁へ撮影の可否を尋ねてみました。
撮影目的は、元駐留軍人の方へ写真を送る、としました。

防衛施設庁の担当の方が、管理者である米軍横田基地に確認をしてくださいました。それによると、
1 フェンスの外から通信所周辺を撮影することは、問題ありません。
2 ただし、濃いサングラス、マスク等を着用しますと不審者と間違われることもあるので、通常の服装等で撮影をお願いします。
ということでした。

さっそく撮影して、「この方」へ写真をお送りしました。

Posted by str.tkhs at 2007年05月16日 16:36
str.tkhsさん、こんにちは。

すばらしい行動力でらっしゃいます。横田基地に確認までされたんですね。

まちがいなく写真を喜んで楽しまれていることでしょう。昔からだいぶ変わったことに驚かれているのではないでしょうか。

フェンスの外からの撮影には特に問題ないようであれば、海軍の石柱とやらを撮影しに行っても良いかなあなどと考えています。
Posted by Toba at 2007年05月16日 21:51
2ヶ月ほど前に、いつも水道道路から見えるはずの水平ログペリが見えなくなりました。(ここの画像の門柱の後ろに見える独特な形のアンテナ)
 先日昼間、ちょいと遠回りして大和田通信所の中を通ると、どうも解体されている途中なんでしょうか?水平の部分の鉄塔が解体されて細かく置かれていました。
 画像も撮影してきたので、映りが悪いでしょうがよろしければメールに添付します。
 ちなみに、大和田通信所付近には雑木林や野火止用水の自然がいっぱいです。
 このまま米軍基地として存続することを望みます。日本に返還されて公園整備なんかされると、付近に残された自然がなくなり、そこいらにある公園と同じものが出来上がるのでしょう。
 私はここを通ると大和田通信所の歴史と日本の防衛のために現在もあるのだなと実感することができます。
Posted by 久留米こやま at 2007年07月29日 00:34
久留米こやまさん、こんにちは。

そうですか、あのログペリアンテナがなくなっていましたか(私にはログペリで通じます)。何か移転がある前兆でしょうか。思えば、現在でもあの大きなアンテナを使用して通信しているのかどうかさえわかりませんね。

それにしても、米軍施設のままのほうが自然が残るというお考えには目からうろこが落ちる気がしました。なるほど、言われて見ればおっしゃるとおりなのかもしれません。不思議な構図です。
Posted by Toba at 2007年07月29日 05:09
Tobaさん、こんばんわ。まだログスパイラルは残っていて、水平ログペリのほうは水平部分が解体されて柱の部分は残っています。
 昼間に行くと、職員の方らしき車が一台駐車しております。夜に行くと、門柱付近の照明があって明るいところに白い大きな犬が寝転んでおります。
 
この前、たまたまブドウ峠を散策しました。その後、こちらのブログでブドウ峠という名前を知りました。今度は荒幡富士や狭山富士にも行こうと思っています。

いつも楽しみに読んでおります。これからもがんばってください。では
Posted by 久留米こやま at 2007年07月30日 00:48
久留米こやまさん、こんにちは。

そうですか、機会があれば一度見に行って見たいですが、自転車だと少し遠いので・・・。

ブドウ峠へ行かれましたか。通称ですからね。
昨日は、本物(?)のぶどう峠へ行ってまいりました。
長野県北相木村と群馬県上野村の境です。

近日中に報告したいと思います。
Posted by Toba at 2007年07月30日 10:53