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荻窪から見た杉並清掃工場の煙突

 中央線上り列車に乗って吉祥寺駅を出発すると、電車はしばし南側に開けた高架を走ります。車窓からは遠くに大きな煙突が見えます。高井戸にある杉並清掃工場です。そして、視覚の中にはもう一つ煙突が見えます。あとから、地図で調べたらこれは世田谷区の千歳清掃工場ではないかと考えています。住宅の密集する都市部に伸びる清掃工場の煙突、これが前から気になっておりました。

 さすがに車窓から写真を撮るのは気が引けるので見るだけで我慢していましたが、先日、あんさんぶる荻窪の屋上からも二つの煙突が見えましたので、写真を撮影してこうして話題にする次第です。

 千歳清掃工場についてはよくわからないので、今回は杉並清掃工場についてのみです。私が杉並清掃工場のことを知ったのは、昨年受験したeco検定の勉強で平成18年版の循環型社会白書を読んだ時でした。コラムに「東京ごみ戦争」と題して杉並清掃工場のことが書かれていました。こちらからネットでも読めます。

 東京ゴミ戦争とは、かいつまんで説明すると、高井戸に建設しようとしていた杉並清掃工場が地域住民の反対運動によって立ち行かなくなっているところに、杉並区からのゴミを受け入れていた江東区が腹を立てて杉並区からのゴミの搬入を実力阻止した出来事だそうです。昭和47年のことです。その後、ゴミの自区内処理の原則ができて、各区に清掃工場が設立されるようになりました。杉並清掃工場についても昭和49年に和解が成立し、昭和53年に着工、昭和58年に操業を開始しました。

 都内のゴミについてはかなり壮絶な歴史があったんのですね。おかげで23区内の多くの区では自区内に清掃工場を保有しています。

 でも、調べていたら気になる言葉も見つけました。「ゴミ不足」です。なんでも、高機能な清掃工場をたくさん作ってはみたものの、経済の停滞やリサイクル運動の発展によってゴミが減ってしまい、清掃工場の稼働率が落ち込んでしまっているものです。ゴミが減るのは喜ばしいことですが、なんか本末転倒になっているあたりが皮肉です。

 普段何気なく見ている通勤電車の車窓の風景も、こんな感じで知識を仕入れてから改めて見てみると、案外楽しい風景だったりします。