お正月に行った沖縄では対馬丸記念館に足を運んでみました。
米軍による沖縄への上陸が懸念される昭和19年、那覇から鹿児島に向けて航行中の対馬丸は米潜水艦の魚雷により撃沈されました。戦時中なので輸送船が沈められることはよくあると思うのですが、この対馬丸が後世に語られるのは、その乗船者の多くが学童であったからです。本土への学童集団疎開の子供たちです。
その数については諸説あるようです。対馬丸記念館の調査データによると乗船者は1788名で、そのうち834名が学童です。撃沈による犠牲者は1476名で、そのうち779名が学童です。
子供たちの多くは新しい土地への疎開という不安な気持ちを抱いて乗船したのでしょう。そんな子供たちの多くが犠牲になってしまったのがこの対馬丸でした。
憎しみから生まれる報復の連鎖を断ち切り、子供たちに夢と希望を。これがこの記念館の趣旨のようです。