鈴ヶ森刑場遺跡

 鈴ヶ森刑場跡を訪問しました。江戸時代に多くの罪人が処刑された刑場です。八百屋お七もここで処刑されたとか。鈴ヶ森刑場遺跡という名前での案内が出ており、歴史的遺構扱いのようです。

鈴ヶ森刑場跡は第一京浜横

 すぐ横は第一京浜です。当時から東海道沿いにあった刑場とはいえ、周りに大きな建造物が多くなった現代では、言われなければそこに刑場があったとはわからないような場所です。

謹告

 こんな看板を見つけました。ここ刑場跡のある大経寺住職によるものです。これによると、お地蔵様を壊した不届き者がいたようです。罰当たりなことをする人もいたものです。

鈴ヶ森刑場の無縁地蔵

 これが壊されたお地蔵様でしょうか。首が無くなってます。その姿は無残です。

首洗いの井戸

 首洗いの井戸という案内の井戸がありました。斬首された首を洗うための井戸だったということでしょうか。このあたりにそういう首が置かれていたのかと思うと、ぞっとします。

磔台と火炙台

 その先には磔台と火炙台がありました。磔台の真ん中には穴があります。ここに角柱を差し込み罪人を縛りつけたそうです。火炙台も真ん中に穴があります。こちらは鉄柱を差し込み罪人を生きたまま焼き殺したとのことです。

 戦後多くの絞首刑が行われた巣鴨プリズン跡地がそれほど騒がれないのに比べ、鈴ヶ森刑場が今でも話題を集めるのは、その処刑の仕方なのでしょう。当時の歴史的背景もあり、処刑は見せしめの意味合いが強かったのだと思います。残虐な殺され方をした人が多いからこそ、その地に何か形の無いものが残ってしまうのも理解できます。

 一部、心霊スポットのような騒がれ方もしていますが、そういう能力が無い私には何とも言えません。私が訪れた時には、磔台のすぐ後ろで犬の散歩をした近所の方々が楽しそうにおしゃべりされていました。ここが刑場だったことはまったく意識されていない様子。それはその通りで、もし意識してたら、周りがこんなに開発されなかったでしょう。