所沢陸橋から北方向 懐かしいものが出てきました。昭和48年頃の所沢陸橋の写真です。埼玉県所沢市内で西武池袋線の上を渡るために、今でこそ車の途切れることの無い道路になってしまいましたが、確か開通して間もない昭和48年頃は、この写真のように通る車がありませんでした。この写真は陸橋から北側を撮影したものですが、渡った先でT字になっていて、所沢青梅線にぶつかっています。まだこの先の道路は開通していません。「肉の万世」もまだです。




所沢陸橋ができる前の踏切 この陸橋ができる前は、ほぼ同じところに踏切がありました。その陸橋が出来て、踏切はなくなってしまいましたが、その踏切があった場所が右の写真です。当時はまだ踏切の面影を残す看板が残っていますね。「一時停止」と書かれています。この踏切の近くにはたまご屋さんがあって我が家でもお世話になっていたのですが、ニワトリ小屋はどこにあるかというと、線路を渡った反対側にありました。たまごを取りに行くためには、踏切ではなく、線路を渡っていたようです。今では絶対できないでしょう。のどかな時代です。




所沢陸橋から南西方向 陸橋の上から南西方向を移した写真がこれです。やっぱり車は走っていませんね。常に渋滞している今からは想像もできない交通量です。また、当時はまだ所沢駅東口もありませんから、その方面は畑と森に覆われています。今ではマンションとお店で覆われていますね。今の地名を「くすのき台」と言いますが、もしかしてこの写真に写っている森の木がクスノキだったんでしょうかね・・・。




所沢陸橋から南東方向 最後の写真は陸橋から南東方面を撮影したものです。まだニチモのマンション(所沢コーポラスというのかな)もありません。やっぱり畑と森に覆われています。実は、今あるニチモのマンションの奥にはカミヤマと呼んでいた森があるのですが(子供時代の言葉なのでカミヤマが漢字でどうなるのかわかりません)、私が小学生のころ、このカミヤマにドラキュラが住んでいるという噂が立ち、よく探検に行きました。先日、久しぶりにこのカミヤマに行ったのですが、森の中を抜ける道はまだ未舗装で、住宅はだいぶ増えてはいましたが、まだ当時の雰囲気が残っていました。うれしい限りです。

ところで、最後の写真、よく見ると制限速度が時速50Kmになっています。今も時速50kmのままでしたっけ・・・? あそこはいつもノロノロなので時速50kmだったとしても、そんなに出せませんけどね・・・。


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