江戸東京たてもの園の続きになります。高橋是清邸です。1902年に赤坂に建てられたお宅の母屋は氏の没後、多磨霊園に移築されましたが、その後ここ江戸東京たてもの園に移築されました。私個人の中では一番興味があった建物です。まさにこの母屋の2階が二・二六事件の現場となりました。
私の中の高橋是清といえば、現代史で勉強した通り幾度かの蔵相のイメージが強く、かなり堅物なのかと思っていたのですが、どうやら波乱万丈な人生を送ったようです。藩留学生として渡米した折には何もわからずサインをしてしまい奴隷として売り飛ばされてしまったり、帰国して芸者遊びに溺れてしまったり、一攫千金を夢見て一文無しになってしまたり・・・。そんな人が日銀の副総裁を務めたり、蔵相を歴任したりしたのですから、かなりの大物だったのでしょう。
波乱万丈といえば、二・二六事件で暗殺されてしまったのも不幸ながらものすごい人生の幕引きと言えるでしょうか。二・二六事件は陸軍の皇道派青年将校によるクーデター未遂事件ですが、2枚目の写真にある2階寝室部分が暗殺現場となったようです。
軍事費増大に反対したのが二・二六事件の標的にされた原因のようですが、日本のケインズとも呼ばれた人で、実際、日露戦争の時には自ら戦費集めに駆け回った人のようですから、何か確固たる信念に基づいての行動だったのだと思います。
この寝室には晩年と思われる高橋是清氏の写真が飾ってありました。「ダルマさん」というあだ名で呼ばれていたそうですが、何とも人の良さそうな顔立ちでした。「高橋是清自伝」という本が中公文庫から出ているそうですが、ぜひ読んでみたいと思わせるお顔をされていました。
なお、この高橋是清邸の1階は休憩所になっています。喫茶サービスもあります。美しい庭園を眺めながらお茶をいただき、昭和の時代に思いを馳せるのも良いかと思います。