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以前に「所沢航空記念公園 米軍基地のなごり?」でお見せした30年くらい前の航空公園の写真に、「少年飛行兵像」というのがありました。「この像は保存しますので取りこわささないでください」と書かれた立て看板が象徴的でした。
先日、この少年飛行兵像に久しぶりに出会いました。航空公園内の放送塔の近くの森の中にひっそりと立てられていました。これまでも無意識にこの像を見ていたのだとは思うので、30年ぶりでは無いと思うのですが、写真を撮るのは間違いなく30年ぶりでしょう。
でも、像の名前が違うのです。
像の近くには初めて見る説明文がありました。昭和18年に彫刻家長沼孝三氏が第二回大東亜戦争美術展に出品したものだそうです。傷みが激しく、平成9年に長沼孝三彫塑館(山形県長井市)の協力を得て修復工事を行ったとあります。
ここまでは良いのですが、よく見ると像の名前が「航空整備兵の像」とあるのです。私の30年前の写真にはまちがいなく「少年飛行兵像」とあるのですが・・・。この違いは何なのでしょう。
気になったのでインターネットで調べてみたのですが、よくわかりません。この新しい説明文が立てられたのが1998年のようなのですが、これ以前の資料に基づいている方は「少年飛行兵像」とし、この説明文に基づいている人は「航空整備兵の像」としているようです。さらに、古い資料では「健児の塔」と呼ばれていたと記述している方もいました。この「古い」資料が何なのかとても気になりますが、少なくとも、これまでに「少年飛行兵像」「航空整備兵の像」「健児の塔」の3つの呼び方が出てきています。
これは誰かがどこかで間違ったのか、もしくは意図的に名前を変更したのでしょうか。とても気になります。
これがいわゆる戦争美術と呼ばれる範疇に入るのかどうかわかりませんが、事実は事実として後世に伝えていくべきではないかと思います。ということで、長沼孝三氏が第二回大東亜戦争美術展に出品した時の作品名がとても気になっています。
どちらにも取れますね。
彼達は何を願い作り、何を想い飛び立ったのでしょう
そして何を祈り見上げているのでしょうか…
胸が熱くなります。
ちぽけな自分が恥ずかしくなる思いです。。
幸せを求めるのではなく、
小さな幸せに気づける人になりたい…