「谷田の泉」に行ってからというもの縄文時代が気になって仕方がなかったのですが、調べてみたらすぐ近くに縄文時代を味わえる場所があることがわかりました。埼玉県富士見市にある水子貝塚公園(水子貝塚遺跡)です。大正6年に遺跡として報告され、昭和12年に貝塚として発見されたと年表にはありました。昭和44年には国史跡に指定され、平成6年に公園として整備されたそうです。
この水子貝塚は今から5,500年前のものだそうです。時代で言うと縄文前期というものに分類されるようです。園内には竪穴式住居が復元されていました。夏涼しく冬暖かいという理想的な住居だったようです。住居跡からは30代の女性の骨と雄犬の骨が見つかっているそうで、住居の中には昔の人たちも復元されていました。犬は名づけて「縄文犬」です。昔から人間と犬は共生していたんですね。今度は、この縄文犬が気になってきてしまいました。
ところで、どうしてこんな埼玉の内陸に貝塚と思うかもしれません。私もそう思いました。だって、貝塚ってのは食べた貝をまとめて捨てた場所ですからね(他の説もあるようです)。でも、これは園内にある富士見市立水子貝塚資料館に行くと理由がわかります。海岸線の移り変わりが展示されていました。水子貝塚があった時代は荒川沿いに富士見市まで海岸線が広がっていたのだそうです。今からは信じられないです。
さらにびっくりなのは、逆にこれよりさらに昔の10,000年前の海岸線は今の東京湾よりももっとずっと小さかったということです。氷河期で海面が低かったんです。もちろん、日本も中国大陸と陸続きだったわけです。ところが氷河期が終わって海面が上昇し、海岸線が内陸まで入り込んできました。これを縄文海進と呼ぶそうです。それにしてもこのように10,000年単位で歴史を見ると聖徳太子の時代なんて「つい最近」って感じすらしてきます。
資料館のすぐ横には展示館があります。資料館には富士見市の遺跡関連の資料が集められているのに対し、展示館では水子貝塚に関する展示がされていました。
私が訪れた日は資料館で石器を使ってクルミやドングリを割る体験コーナーがありました。オニグルミが食べられるのはともかく、ドングリも食べられる種類が並べられていました。
水子貝塚公園は公園なので遺跡関連の資料に興味がなくても公園として十分楽しむ広さの空間があります。というか、屋外で竪穴式住居をじっくり見ていたのは私ぐらいで、他の人たちは普通の公園として楽しんでいました。こういうのってなかなか良いと思いました。駐車場もあります。