この「アーロン収容所」はロングセラーです。私は文庫本で読みました。
終戦後捕虜となった著者が帰国後しばらくたってからイギリス軍の収容所での生活を回想した本です。著者の会田雄次氏は帰国後、京都大学の教授をされた方ですが、イギリス人への憎しみに冠する記述には一部過激な表現もあってびっくりする部分もありました。
それでも、著者自身が「文庫版のためのあとがき」で、本書の内容に対して捕虜仲間から受けた「収容所生活を少し楽しげに書き過ぎた」という批判に対して、意図的にそうしたと記述しているよう、全体を通して非常に冷静に物事を観察していらっしゃいます。
この本の紹介で出される有名な一節があります。次の話ですが聞いたことのある方も多いのではないでしょうか
日本人捕虜が女性兵士の部屋に掃除に入るときはノックをしてはいけなかったそうです。なぜかというと、ノックをされると女性兵士は誰が来たのかわからないので身支度を整えなければいけないからです。意味がわかりますか。日本人は人間と思われていないのです。ある時、著者が女性兵士の部屋に入ると中の女性兵士は素っ裸だったそうです。それでも、入ってきたのが日本人捕虜だと知ると別に慌てもしませんでした。心の底から人間以下と思われていたということでしょうか。
また、こんなエピソードもありました。食事に使われるビルマの下等米があまりにひどいので抗議したところ、「日本軍に支給している米は、当ビルマにおいて、家畜飼料として使用し、なんら害なきものである」という正式な回答がイギリス軍からあったそうです。
戦後、日本軍の残虐さがいろいろと表現されましたが、イギリス軍の残虐さはこれとは別の次元のものです。著者はこの違いを昔から家畜の飼育の習慣のある人種(イギリス人)とない人種(日本人)として対比させていて興味深いです。
本書の中には日本人、イギリス人、インド人、ビルマ人、グルカ人等の人種毎の性向に対する記述に多くのページが割かれていて、私にとっては人種比較の側面からおもしろい本でした。イギリス人将校から日本人として戦ったことに誇りを持てと諭されたという記述もありました。著者自身も日本人に対して次のような一文も加えています。
私たち日本人は、ただ権力者への迎合と物真似と衆愚的行動と器用さだけで生きてゆく運命を持っているのだろうか。
収容所では泥棒しないと生きていけなかったので、自ずと泥棒のできる人間が頭角を現して行ったそうです。人間は生まれながらにして個人個人異なった条件を兼ね備え、どの人でも上に行く可能性は等しいのだけれど、上に行けるか行けないかは時と場所によるものなのだと著者は悟っています。この話もおもしろいです。
収容所を舞台にしていますが、その内容は多岐に渡り、いろいろな面から楽しめる本だと思います。
私もショックを受けましたが、この本は英訳されており、それを読んだイギリス人(おそらくインテリでしょう)が日本のインテリはイギリス人をこんなふうにみているのかとショックを受けた、と何かで読みました。
その英訳本を読んでみたいものですが、見つかりません。