世界各地で起きている紛争は宗教がからんでいるものが多いです。良し悪しは別にして日本のように宗教が生活と密接にかかわらない国に住んでいると、そういう紛争の原因がよくわからないのも事実です。
ユダヤ教とキリスト教とイスラム教は同じ流れで発生したものだということを少し前に別の本で読みました。例えば旧約聖書はすべての宗教で聖典とされていますし、イスラム教では、イエスも預言者の一人として認められています。
とはいえ、正直なところいまいちよくわからないのがイスラム教です。わからないだけでなく、テロ事件があるとよく「イスラム原理主義」という言葉を聞くので、あまり良いイメージがないのも事実です。
それでも全世界には多くのイスラム教徒がいます。彼らの生活様式や考え方を見開き2ページずつに違う話題を配置して読みやすくまとめたものがこの本です。変な先入観はぬぐわれるかと思います。
頭から順番に読んでいってもよいですし、気になる項目だけを拾い読みしても良いです。第9章の「イスラムと「国際政治」」は、世の中の動きを知る上でためになる話題があったかと思います。
個人的に一番、感動したのはイスラム教徒の名前です。「アブド」で始まる名前が多く、これは「僕」を意味するそうです。例えば、アブドアッラーであれば、「アッラー(神)の僕」ということになります。あれ、どこかで聞いたことありませんか? そう、私の世代以上であれば知らない人はいないと思う悪役プロレスラー、アブドーラ・ザ・ブッチャーさんです。彼がムスリム(イスラム教徒)なのかどうかは知りませんが、リングネームはここから来てたんですね。新しい知識を得ることによって、昔の記憶に意味が与えられました。
しかし、今日の戦いと比べると、ビン・ラディン家が米軍産複合体の大株主であったという事実などもあり、まだあのリング上の流血の八百長のほうが透明性が高かったと、改めて感じさせられますね。あの頃は流れる血に子供だった自分も血沸き肉躍り、兄達と技の掛け合い→けんか→涙、とお決まりの流れでしたが、今は、日常茶飯事となってテレビでも大きく取り上げなくなった内戦状態下の市民の死に心の中で涙することしか出来ませんね。
石油メジャーの束縛からの脱却として日本が頼みにしていたアザデガンの開発も、イラン攻撃が秒読み段階だといわれる今立ち消え状態ということで、毎日新聞を読むにつけ、西高東低を打破しようとした二次対戦前の状況を今に重ね合わせてしまいます。