水子貝塚公園では縄文犬に出会いましたが、遺跡といえば東京都の遺跡地図情報インターネット提供サービスを見るとわかるように、結構近くにたくさんあるようです。
私の住んでいる清瀬市内も野塩周辺にたくさん遺跡があります。でも、それが今どうなっているのかはわかりません。ところが、お隣東久留米市はこれらの遺跡を公園にして残してくれていました。清瀬市にも近い、下里本邑遺跡公園へ行ってみました。
この公園は黒目川に面したところにありました。やっぱり、人間が生きていくには水が必須なんですね。今、川などの水場から離れていても生活できるのは、水道が張り巡らされているからということが改めてわかります。
下里本邑遺跡からは大きく3つの年代の遺跡が発見されています。今から2万5千年前の先土器時代のもの、1万年前の縄文時代のもの、そして1600年前の弥生時代のものです。
上の写真は先土器時代の礫群(れきぐん)です。焼けた石が集まっていて、当時の調理の場と考えられているそうです。
こちらは弥生時代の方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)です。当時この地にあったムラの指導的立場の人のお墓だそうです。それにしても同じ遺跡とはいえ、先土器時代のものと弥生時代のものでは2万年以上離れていることになります。スケールが桁違いです。
道を挟んで下里本邑遺跡館というのがありました。でも、残念ながら入れないようでした。私のように外から見に来る人にとっては遺跡であっても、近所の人にとっては単なる近所の公園なのでしょう。
お墓のそばで遊んでました。