陸軍中野学校について書かれた本を読みました。日本の陸軍が諜報謀略の特殊技術を教えるために設立した学校です。戦後30年も残置諜者としてフィリピンのルバング島に残った小野田寛郎氏がこの中野学校の卒業生だと知り、気になっていた機関でした。
この本は、昭和46年に番町書房から刊行された「秘録 陸軍中野学校」(正・続、畠山清行著)の二冊がベースになっています。保阪正康氏がこの合計60章からなる本から28章を選び出したものが今回読んだ文庫本です。
本書では陸軍中野学校で何を教えたかというよりは、諜報戦とは何かから始まり、中野学校の設立の経緯やその目指していたもの、そして中野学校の生徒がどのように活躍したかが広く描かれています。
「謀略は誠なり」これが目指すべきものだったようです。日露戦争時代にロシアの反体制勢力と手を組んで、戦争を勝利に導いた明石元二郎氏の行動から来ています。この教えは、終戦後も中野学校の卒業生が各国の独立運動に身を投じていったことからもわかります
正直なところ、読み進めるうちにどんどんおもしろくなる本です。
例えば、サイゴンの偽放送。ジャワ島攻略時に、バンドンから蘭印軍に指示を出していた放送局になりすまして、サイゴンから偽放送を行ったそうです。そして、これがうまく行ったのです。また、ガダルカナル島からの撤退時も無線によるかく乱がうまく機能したようです。
ほかにもおもしろかったのは、終戦間際の吉田茂の家には憲兵隊と陸軍からそれぞれお互いは知らない形で女中や書生としてスパイが送り込まれていたという話でしょうか。中野学校の卒業生として送り込まれていた人は戦後、謝りに行ってます。このエピソードも読んでいて楽しかったです。
どういう内容か気になる人は本書を読んでみてください。
これを読んでいて気になったのは、今の日本の諜報機関はどうなっているのかということでしょうか。