高麗川の源流を見て刈場坂峠まで行った帰り道の話です。
結局、正丸トンネルの手前までは同じ道を降りてきました。正丸トンネルを抜け、トンネルが終わった所ですぐ左折しました。標識的には青梅方面だったでしょうか。しばらく進むと正丸峠に上る道のあたりで目に飛び込んできたのが上の写真にある埼玉県立名栗げんきプラザです。私がよくこの辺りに来ていた頃は名栗少年自然の家と呼ばれていましたが、いつか名前が変わったのでしょう。ここが痛ましい事件の遺体発見現場になったことは今でもよく覚えています。お祈りして先に進みました。
ここからすぐのところに山伏峠があります。車だと素通りですが、ハイキングで伊豆ヶ岳から武川岳へ歩くときには通過するポイントです。せっかくの山道が突然、車道に寸断されるハイカーには寂しい場所です。
さて、ここから名郷までは下りの峠道です。名郷は飯能から国際興業のバスが来る終点です。上の写真はちょうど名郷のバス亭付近です。その昔、冬の武甲山に行ったことがあります。雪道です。予定ではそのまま浦山方面に下山する予定でしたが、なぜか大持山、子持山方面に行こうという話になってしまいました。やめておけば良かったものの、はたして途中からは腰下まである雪の中をラッセルして進むはめになってしまいました。道もわからなくなり、つまり遭難です。それでも何とか沢を見つけ沢沿いに下りてきたら、この名郷の集落に辿りついたのです。あの時は本当にうれしかったです。
ここからはバスも通る道です。国道299号と比較すると道は明らかに狭いです。でも、なぜか直線のところが多いように思います。しばらく行くと有間ダムの入り口がありました。埼玉県のダムです。コンクリートではなく、土や石を積むことで堤体が作られるロックフィルダムです。名栗湖とも呼ぶそうです。昔は何もないところでしたが、「さわらびの湯」なる日帰りの温泉施設ができていました。でも、ちょうどこの9月から来年の1月中旬まで浴室改修工事で休業中です。
ここから先、飯能方面の道にそれほど変化は無かったのですが、途中、道が良くなったと思ったら、なんと道なりに進むと青梅方面(成木街道)に行くようになっていました。飯能に行くには良い道から昔ながらの道に左折する必要がありました。そういえば、成木街道、岩蔵街道もその昔はよく走った道でしたが、もう10年近く通っていないような気がします。今度はそちら方面に行ってみたいと思っています。