1年ほど前、「クリント・イーストウッドの硫黄島の映画」というのを書いて、その後しばらく硫黄島について書かれたものを読んで事前準備をしてきました。そして、とうとう日米双方の視点から描かれた硫黄島を映画のひとつアメリカ側の視点に立った「父親たちの星条旗」が公開されました。まもなく12月9日には日本側からの視点に立った映画「硫黄島からの手紙」が公開されるのですが、やっと一つ目を見ることができました。
近くに用事があったついでに丸の内プラゼールという映画館で見ました。丸の内ピカデリー1というところでやっていると調べていたので行ってみたら、そこは「武士の一分」の初日舞台挨拶の場所でした。そうそう映画の日です。キムタクが来るならそっちを見ても良いかなあと少し考えてしまいましたが、当然、そんなチケットがあまっているわけがありません。
「父親たちの星条旗」ですが、原作は私が今年の初めに読んだ「硫黄島の星条旗」です。本の著者が父親の死後、その父親が戦争で受けた苦しみを追跡調査して書いたものです。衛生下士官だった著者の父は、硫黄島の摺鉢山に星条旗を立てる写真にたまたま写りこんだがためにその後の戦時国債調達のためのツアーに駆り出され、英雄扱いを受けます。しかし、一方で実際の戦場の悲惨さを知っている人間としてその乖離に苦悩します。
現代のシーン、国債調達ツアーのシーン、また実際の硫黄島の戦闘シーンがうまく行き来していました。基本的に硫黄島での悲惨なシーンは現代になっても忘れることのできない部分として描かれていたように思います。映画館から出てきたグループが「ありゃ、戦争映画じゃないじゃん。戦闘シーンが少ない」としゃべっていたのが聞こえましたが、個人的には十分すぎるほどリアルなシーンがあったと思っています。
原作を読んでいたおかげで映画の言わんとしていることがすんなり理解できました。でも、初めて映画を見るとわからない部分もあるように思います。別にわからなくても問題はありません。でも、わかっていると、「ああ、このシーンはあの逸話を映像化したんだな」というのがわかります。あの有名な写真は、実際には最初に摺鉢山に立てられた星条旗を撮影したものではないということ、写真に写りこんでいてその後の戦闘で戦死した3人の1人は間違って公表されていたということ、マイク・ストランクというリーダが皆をまとめていて彼の死の意味は大きかったこと、著者の父親にとっては死ぬまでイギーの死が大きく心に残っていたと言うこと、最低でもこのくらいは押さえておくと映画が見やすいかもしれません。
この最後のイギーの死について、映画では日本軍兵士が残忍な殺し方をしたということしかわかりません(もしかしたら戸田奈津子さんの訳に無いだけなのかもしれませんが)。実際のところ原作ににそのあたりの詳細な記述がありました。映画中、日本軍兵士が手榴弾で自決したあとの無残な姿などは映像化されていましたが、さすがにイギーについての映像は何もありません。このあたりが残されているであろうご遺族への配慮なのか、「硫黄島からの手紙」の日本側への配慮なのか、それともその両方なのか、わかりませんが、映画だけを見ると少し不思議に思うシーンかもしれません。
アメリカ人であるクリント・イーストウッドが監督する映画なので、それなりの立場に立っているかと思っていたのですが、いたって中立的な描き方だったと思います。戦争は良い者と悪い者の2つにわけて語ることなどできないということだと思います。好感が持てました。
最後には「硫黄島からの手紙」の予告編も流れました。アメリカ人が撮る日本だと、どうしても不自然な部分が出てきますが、あの予告編のシーンだけを見るとその心配は無用のように見えました。できればこちらは公開後すぐに見たいと思っています。
仰るとおり、戦争は良いもの悪いものに分けることは出来ませんよね。分けようとする前にまずは互いを理解し合うことが大切なのではないかなと感じました。
個人的にですが、イギーのその場面は次回の『硫黄島からの手紙』で少し絡んでくるのかなと思ったりもします。