私は戦友になれたかしら―小野田寛郎とブラジルに命をかけた30年
先日、小野田寛郎さんの「たった一人の30年戦争」という本を読みました。フィリピンのルバング島で戦後30年間、残置諜者として任務を遂行した人です。
この小野田さんは帰国後、ブラジルに移住して牧場経営を行います。そのブラジルでの30年間の苦労をともに過ごした奥様、町枝さんが書かれたのが今回の「私は戦友になれたかしら」という本です。
小野田さんが54歳の時、町枝さんは38歳で結婚しました。当時の町枝さんは損害保険の代理店を経営し、喫茶店も持っていて、茶道や華道に秀でていて・・・それでいて独身と、一般的にはすごい女性となるのでしょう。その彼女が小野田さんの帰国時の記者会見を見て「この人のためなら私は死ねる」と思ったといいますからそれはすごいことです。
テレビの中で見る小野田さんとはたまたまホテルニューオータニのレストランで遭遇します。その後も偶然が重なり、最後はブラジルまで出かけ結婚にたどり着きます。世の中には自分のイメージを実現化できる人がいるんだなあと改めて感心する次第です。
ただ、ブラジルに渡ってからの生活は苦労の連続です。そもそも小野田さんの義兄(ブラジルに移住)に「寛郎と結婚するのなら、五千万円もってきてほしい」と言われたことからわかるように牧場経営は大変なのだそうです。最初の数年は無収入です。町枝さんは日本での全財産を処分してブラジルに向かいました。
ブラジルでは、小野田さんを一目見ようとする観光客にも苦労します。人の良い小野田さんのこと、皆に丁寧に接したようですが、決まって皆が同じ質問をしたのでした。ジャングルでは何をしていたのかとか、どうして30年も出てこなかったのかとか・・・。寸暇を惜しんで牧場開拓をしたいというのに・・・。
それでも、彼女の持ち前の精神力や行動力で地元に溶け込んで行きます。本書からはその姿が良く伝わってきました。小野田さんは帰国後の記者会見で「30年間で苦しかったことは何ですか?」という質問に対して「戦友を失ったことです」と答えています。その後のブラジルでの新たな30年間を通して、町枝さんは小野田さんの真の戦友になれたと思わせるに十分な内容が描かれていました。
小野田さんともども長生きして活躍していただきたいと思います。