これまでも何度か扱ってきた砂川堀という川ですが、行政道路(国道463号)と交差する場所は一度見に行きたいと思っていました。このあたりです。
何やら下流側では水がボコボコと流れ出ているという話だったので、以前に聞きかじっていた、河川の交差で使うサイフォン方式とかいうものなのかと考えていました。
でも、行ってみたらびっくり。噴水のように水が吹き出ていました。そして、本当に「噴水池」という名前でした。
実際は、行政道路の手前で砂川堀は砂川堀雨水幹線と呼ばれる地中に埋められた直径3.75mのパイプを流れていくんだそうです(氾濫防止のため)。その代わり、昔の砂川堀の流れは2枚目の写真のように整備されているんだとか、近くの案内板に書いてありました。せせらぎ水路と呼ぶそうです。考え方は名前だけでなく空堀川のせせらぎ公園に似ていますね。
じゃ、この噴水のように吹き出ている水は何なのか? と思うでしょうが、地下100mからポンプで汲み上げている地下水なのだそうです。結構な水量ですが、そんなに汲み上げて大丈夫なんでしょうか・・・。少し心配になったりします。まあ、大丈夫だからやっているんでしょう。
コメント
コメント一覧 (9)
道路挟んで向かい側に昔 パチンコ店があったとき…ばあちゃんがパチンコに興じているとき 幼いながらもこのあたり散策したとき噴水は無かったような…
いつからできたんでしょうね。
はい、おっしゃる通りの場所です。
砂川堀の氾濫を抑えこむための工事が、いつか行われたのでしょうね。
あまり注目されていないのがかわいそうでした。
現在は綺麗な水になっているようですが50年前の事は付近の農家の方も知りません。
戦後の所沢基地は朝鮮戦争で使われた米軍の戦車や自動車の修理をしていました。ビクターオートKKが基地内に設置され日本人の雇用者2000人が自動車修理等に従事していました。昭和36年には6800人にも達していました。
お陰で所沢の町は戦後基地の町として賑わっていたわけです。
御幸町も利用されていました。
砂川堀の件も、そんなに多くの日本人が米軍基地で働いていたことも、まったく知りませんでした。
小学3年生か4年生で「所沢」のことを学習したはずですが、少なくとも学校の教科書では教えてくれない事実ですね。
所沢市は所沢が航空発祥の地ということを声高に宣伝していますが、軍事基地であったことは意図的に隠そうとしているような気さえします。
加藤隼戦闘隊の加藤氏が所沢にいたなどという話は完全に初耳でした・・・。
昔のパイオニアの前の写真がでてきました。
昭和39年頃か?
川越へ行く6号線道路で砂利道で悪路でした。
HPで掲載しました。
ご覧下さい。
飛行機を隠した掩体壕の脇を流れていました。
http://f57.aaa.livedoor.jp/~maika/Entaigou.htm
こういうのを「暗渠」とか言うのでしょうか。でも、あそこら辺は簡単にフタを外せるようにもなっていたような、いないような・・・。
掩体壕ですが、現在の所沢駅と秋津駅の間にある雑木林にも造られたという話を聞いたことがあるのですが、ご存知でしょうか(通称「カミヤマ」です)。そういえば、子供の頃遊んだ時に、意図的に掘られたような広い窪みがあったようことを記憶しています。今となっては定かではありません。
熊野神社にも飛行機が隠してありました。
新所沢の花園の西友からラーク所沢〜フラワーヒル住宅へ向かう道は鎌倉街道ですが、フラワーヒルが出来る前の林の中にも飛行機を格納する所があったそうです。
この道を飛行機が通る時に近所の子供達を飛行機に乗せてくれたそうです。
現在の道の倍の広さがあったそうです。
カミヤマの掩体壕ですが、市内で歴史研究をされていた斉藤修治(漢字はちがうかもしれません)さんという方がだいぶ前に新聞か何かで紹介されていたらしいです。私が子供の頃遊んでいた時にはそんなものとは知りませんでしたが・・・。
フラワーヒルのあたり、今は川越への抜け道に使う程度ですが、道が広かったんですね。今また色々と道路の工事が行われているようですね。
そういえば、先日、市ヶ谷の記念館を見てきました。所沢陸軍飛行学校記念メダルなど、興味深いものが展示されていました。来週中にはブログに掲載したいと思います。
カミヤマの掩体壕の続報です。
どうやら、昭和20年5月3日に北秋津に横穴を掘っていたところ、人骨が出てきてしまい、実際に使われないまま終戦を迎えたという話があるそうです。
場所がどこなのかまではわかりません・・・。