先日ご紹介した狭山富士のお隣には玉湖神社という神社がありました。ひっそりとしていて人気を感じない神社です。
こちらについても狭山富士同様、公式の紹介が見つからないのでネットで検索して得られた情報から想像するしかありません。また、こちらも狭山富士と同じく検索でヒットする情報はどれも同じようなことを書かれていて、きっとどなたかが最初に書いたものがそのままネット上で伝承されてきているのだと思います。だから、間違った情報がそのまま伝承されている危険もあります。
まず読み方から。多摩湖の近くにあるから「たまこ神社」かと思いきや「たまのうみ神社」と読むそうです。
東京都水道局の元、水神をお祭りするために昭和9年作られたものだそうです。ただ、昭和42年に御霊遷しが行われたとあります。つまり、神様がお引越しをされたということです。水道局が神社を管理することが問題視されたのでしょうか・・・。だから、人気を感じないのはその通りで、空き家の神社ということになります。神様がどちらにお引越しされたのかはわかりませんでした。
境内には殉職者の碑が2つ並べられていました。工事の事故か何かで亡くなられた方のものでしょうか。
左側に建つ小さなものは昭和20年10月28日に東京都水道局によって建てられたもので、昭和20年3月2日、7月14日、8月2日に亡くなられた4人の方の本籍、お名前が刻まれていました。時代を感じさせるのは本籍で、お一人が埼玉県、もうお一人が新潟県、あとのお二人は「朝鮮」と書かれていました。
右側の慰霊碑は昭和20年11月20日に建てられたもので、お二人の名前が刻まれてます。左より後に建てられたのに殉職された日は昭和18年1月28日と昭和19年1月17日の二つとなっています。何となく当時どんなやりとりがあったのかは想像がつきます。
この神社のすぐ前の自転車道にはあかまつ橋という橋がありました。どうやら、この下あたりに以前の訪れた軽便鉄道のトンネルの続きがあるようです。どれどれ、覗いてみましょう。
ところが、下を覗くとゴミ(新聞紙)が散乱していました。少し悲しい光景です。あれ、でも今写真を良く見ると新聞紙ではなく、新聞紙に包まれた何かが捨てられているようにも見えます。何が捨てられているのでしょう。少し気になりますね。拳銃だったりして・・・。
海を渡ってきた人に生きている身寄りがなければ、彼らの存在を最近思い出したのは、tobaさんだけなんてこともあるかもしれませんね。
果たして骨は国に帰ったのかどうか。