以前、東松山市のこども動物自然公園に出かけた時から気になっていた、すぐお隣の埼玉県平和資料館へ行ってみました。日曜日のお昼前でしたので少しは混雑しているのかと思いきや、ほとんど貸しきり状態。帰りがけに一人だけ別の入館者と遭遇しましたが、お互い予期せぬ遭遇に一瞬びっくり。こんなんで良いのでしょうか・・・。
でも、入館料100円で1,000円分くらいは楽しめます。どうして人気が無いのかわかりません。私は「平和資料館」という名前が悪いと思っています。
残念ながら館内での写真撮影は禁止です。案内板の一部に残された説明から推測するに、昔は三脚もしくはフラッシュを使用した写真撮影だけが禁止されていたようですが、今は撮影そのものが禁止です。だから、写真は無しです(お見せしたいものはたくさんあったんですが・・・)。
まず、これだけで500円くらいは価値があると思われるのが、戦時中の学校を体験できるコーナー。テレビスタジオのような昔の木造の学校のセットがあります。イスや机も昔のまま。ここに座って授業を受けましょう。終身の授業は歴代天皇陛下のお名前の暗唱から始まりました。そして、その後、日本国民としてどうあるべきかのような話に進みます。否が応でも気分は戦時中にタイムスリップします。
しばらくすると空襲警報のサイレンがなります。我々国民学校の生徒は地下に掘られた防空壕に避難しました。空にはアメリカ軍の飛行機が飛んできます。防空壕から外を見ていると、「ダダダダダ」と機銃掃射の弾丸が地面を走り抜けていきます。しばらくすると「ドーン」と焼夷弾でしょうか。周りが赤く染まって行きました・・・。
こんな感じの擬似戦時中体験です。一人だとちょっと恥ずかしいです。
そして、この疑似体験以外にも戦時中のものが数多く展示されています。風船爆弾には目を引きました。水素の入った気球によりジェット気流に乗って爆弾をアメリカ本土に届けるというものです。埼玉県の小川町の和紙が使われていました。9,000個ほど飛ばされ、その1割はアメリカ本土に到達したそうです。言うなれば、今で言う大陸間弾道ミサイルのようなものですね。
元埼玉県民としては、所沢飛行場や吉見百穴の軍需工場、上福岡の東京第一陸軍造兵廠川越製造所などの写真展示も興味を持って見ることができました。「ヒノマルノ ハタ バンザイ バンザイ」の昔の教科書なども重要な歴史的な資料です。
そして、戦争とはまったく関係ないものの、ここ平和資料館には高い展望塔があります。塔の下の標高が116.7メートルで、展望室の標高が147.5メートルです。これだけで500円分くらいの価値があります。ほぼ360度開けた展望で、空気が澄んでいればどこまでも見渡せるようです。私は30分くらい独り占めさせていただきました。写真撮影できないのが残念です。せめて、この展望塔からの撮影くらいは許可してくれても良さそうです。
これは資料館の外にあった都電の敷石です。銀座四丁目交差点にあって、明治、大正、昭和と時代の流れを見てきた敷石だそうです。とても綺麗なのに驚きました。
ということで、「平和資料館」の名前から連想されるイメージとは違い、楽しく学習できる施設でした。個人的には「戦時博物館」くらいの名称にしてサブタイトルに「関東平野が一望できる展望塔から世界の恒久平和を目指しましょう」くらいにしたほうが良いのではないかと、半分くらいは本気で思っています。