しばらく前になりますが、所沢市の西武車輌工場の道沿いに「陸軍用地」の石柱が残っているのに触れたことがあります(「井筒屋町造商店 所沢の空を飛んだヒコーキ展」参照)。
今度は海軍用地です。yoyogiさんから大和田通信所近くの畑に残っているとの情報をいただき、見てまいりました。
場所は畑の中の道です。1枚目の写真のものは見事にそのまま「海軍用地」を読むことができます。裏をみると「○拾七號」とあるので何か路地と番地から場所が特定できたのだと思います。
2枚目のものは途中から地中に埋もれてしまっています。でも、人が歩ける畑道をフラフラしただけですぐに2つ見つかりましたので、畑の中には畑の所有者だけが知っている名残があるのかもしれません(勝手に入っちゃだめですよ)。
畑の中には所々フェンスで囲まれて国有地になっている場所があります。そこには戦後立てられたであろう「防衛施設庁」の石柱がありました。でも、見た感じこちらのほうが「海軍用地」よりも古そうに見えてしまいます。きっと「海軍用地」のほうが高くて良い材質の石を使っているのでしょう。
フェンスで囲まれた中はかなり広大な自然が残っています。大きな木があるあたりに戦後60年手付かずの歴史を感じます。カラスやバッタもたくさんいました。
フェンスの中に大きな栗の木を発見。あの栗は誰か拾うのでしょうか・・・。そんなことを考えながら現代に戻って来ました。
いつも楽しく拝見させて頂いております、BPSです、お久しぶりです。
‘海軍用地’の石柱、やはり先をこされましたね。
私も探しに行ってみたいと思っていました。
こちら最近は青梅に墜落したB29の慰霊碑などを見てきました。
狭山湖ができる際縄竹橋周辺から立ち退き移転した、新しい‘縄竹’も宮寺にあるのを探し当てたりしております。