何となく昭和の香りを懐かしく思い、昭和天皇の眠る武蔵陵墓地に足を運んでみました。
場所は高尾駅の近く、国道20号線から「多摩御陵入口」の信号を曲がるとすぐの所にありました。
この信号を曲がる車はいっぱいいました。それもそのばすで、近隣には普通に住宅が立ち並んでいるのです。でもその車のほとんどは武蔵陵墓地の手前で曲がってしまい、上の写真の地点まで来ると、それは武蔵陵墓地に来た車だけです。
入り口には多摩御陵警備派出所。その先を左に入ると駐車場です。
車を止めてからは少し歩きます。かなり深く敷き詰められた砂利道砂です。手前には手水舎がありました。この杉並木と相まってまさに神社の参道です。
道は途中で二手に分かれます。右手に平成の世になってから作られたのであろう、昭和天皇の武蔵野御陵、香淳皇后の武蔵野東御陵があります。そして、左手には大正天皇の多摩御陵、貞明皇后の多摩東御陵があります。
まずは右手に進みました。武蔵陵墓地の職員と思われる方がいる詰所があって、それよりもさらに先に警察官の詰所がありました。不思議なことに、どことなく職員も警察官も昭和を感じさせる雰囲気を醸し出していました。
上の写真が武蔵野御陵、下が武蔵野東御陵です。かなり大きいです。後世には古墳と呼ばれるにふさわしい荘厳な雰囲気。その広い空間に今いるのは職員と警官と私だけ。威圧されそう。ついつい「写真撮っても良いでしょうか」と警察官に尋ねてしまいました。今思えば、昭和を感じさせる二人の写真も撮らせていただくべきでした。
そして左手には多摩御陵(上の写真)と多摩東御陵(下の写真)があります。こちらには詰所のような所はありましたが、外からは人影は見えず。もしかしたら、大正の雰囲気を醸し出した人がいたのかもしれません。でも、よくよく考えたら大正の時代を実際に体験したことのある世代はもうかなり少数派なんですよね・・・。時代は流れています。
時代と言えば、こちらの多摩陵と多摩東陵は、先の武蔵陵と武蔵東陵と異なり大きさにだいぶ違いがありました。多摩陵のほうが大きいです。このあたりも時代背景を反映しているような気がします。
帰宅後、宮内庁のページを拝見しました。これによると、神武天皇からこれまでのすべての天皇陵がどこにあって、どんな姿をしているのか確認できます。これってすごいことだと思います。