先日、四ツ谷駅前の上智大学に行く機会がありました。写真の通り、駅前は都内の景観です。ところが、このすぐ近くに都内とは思えない場所がありました。
元々、高い所や木々のある所には引き寄せられる習性があります、私。四ツ谷駅を出て上智大学に向かう道でのこと。大学がある側とは反対側が少し高くなっていて、緑が生い茂っているのに気づいてしまいました。ふとフラフラと登ってみると・・・。
そこは土手っぽくなっていて、まるで別世界でした。
なぜか、カセットコンロにフライパンで料理している方がいました。あれが無ければ、どこか山の尾根道といっても良いような雰囲気です。
でも、木々の間から下の道を見るとこんな感じなので、まさに現実と別世界は隣り合わせです。
反対側を見ると、そこは丸の内線の四ツ谷駅です。駅の下を走っている線路は中央線と総武線です。地下鉄よりも下を走るJRってのはそれはそれで面白いですが、その話は別の機会にまた。
帰って調べてみたら、ここはその昔、江戸城の外濠だった所だそうです。この駅のある場所が真田濠で、四ツ谷駅より北側が四谷濠です。真田濠は戦後の瓦礫処理で埋め立てられ、今は四ツ谷駅と上智大学のグランドになっています。確かに上智大学正門前には土手をくり抜いてグランドに抜けるトンネルがありました。四谷濠は、明治7年、喰違の変で襲われた岩倉具視がそこに落ちて刺客から逃れて命を取り留めたらしいです。
試しに昔の地図(iPhoneアプリの東京時層地図)を見てみました。明治9年−19年の地図を見ると四谷濠にも真田濠にも水がありました。昭和3年−11年の地図では四谷濠の水が無くなり、昭和30年−35年の地図では真田濠からも水が無くなっていました。
途中、明治39年−42年の地図を見ると、真田濠の一部が埋め立てられて線路が通っているのがわかりました。当時、どんな景色だったのかは気になるところです。
ともかく、そんな歴史とともにある外濠の土手がそのまま残っていることに感動を覚えます。
たしか、戦後に東京大空襲の瓦礫を捨てる場所になり、埋め立てられてしまった、と言ってました