日立市の日立鉱山跡地にある日鉱記念館へ行ってきました。日本産業の近代化の基礎は鉱山なんだということを改めて実感します。これだけの資料を無料で見せてくれるのは太っ腹です。
日立市内から車で少し山の中に入ったところに日鉱記念館はありました。近未来的な建物が周りの緑と不思議と調和しています。
まずは本館へ。
現在のJXホールディングスに続く日立鉱山の流れは久原鉱業所から始まります。本館の入口では創業者である久原房之助氏の像が出迎えてくれます。
ここ本館は主にパネル展示ですが、興味深いものがたくさんありました。例えば、日立製作所は大正9年に久原工業から独立してできたのですが、その当時の書類が展示されています。上の写真は明治から大正にかけての日立製作所の営業方針、諸規則、久原鉱業所の予算書です。パソコン、ワープロはおろかコピー機さえ無かった時代ですから、この手のドキュメントはできあがるまでには多くの人の議論を経て、何度も書き直しをしたのでしょう。見るからに重みを感じます。
地下は模擬坑道になっていました。多くの人が近くの社宅に住み、鉱山で働いていたようです。一つの町として、病院なども近隣の町よりも充実していたそうです。
屋外に展示されている日立製作所製の電気機関車です。明治末期から昭和35年までの50年間使用されていたそうです。45馬力のモーターを2機搭載し、牽引荷重能力は40トン。
手前から第一竪坑と第十一竪坑です。第一竪抗は明治39年から昭和56年まで75年間使用されました。竪坑とは、地面から地下に垂直に掘られた穴です。地下に入っていくと、地面と水平に伸びる坑道が何層にも連なっています。
竪坑内を人やものを運ぶためエレベータのようなものがあります。それを上下させるのがこの巻揚機。
プレートを見ると米国製のようです。ただ、その上に三井物産の名前もあります。
昭和19年に建てられたというコンプレッサー室がそのまま鉱山資料館になっています。こちらも無料で見学できます。
鉱山を支えてきた機器たちが展示されていました。明治の操業当時は米国製の機器ばかりでしたが、それが年代を追うごとに日立製作所製に変わっていくのが読み取れます。日本の産業発展のために先人たちが歩んできた苦労がうかがえます。
大きなコンプレッサーです。
削岩機がいっぱい並べられていました。米国製のかなり古いものもあり、歴史的に意義のあるコレクションのようです。最近では、(なぜか)削岩機を持った道路工事の人もあまり見なくなり、これを手にしているのは虫歯菌のイラストぐらいになりました。
こちらが、新田次郎が「ある町の高い煙突」に描いた大煙突です。帰宅したら読んでみようと思っていたのに、もう絶版なんですね。日鉱記念館では売られていたように思うので、買ってくれば良かったです。
ここ日鉱記念館、入場無料で有益な資料を見学できるだけではありませんでした。小学生にはクイズをさせてくれ、全問正解だと記念品まで頂戴しました。夏休みも後半戦、自由研究にいかがでしょうか。